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2009.08.03 Monday ... - / -
#『Spirou et Fantasio a Tokyo(スピルーとファンタジオ、東京へ行く)』n°49  作画:Munuera、シナリオ:Morvan
『Spirou et Fantasio a Tokyo(スピルーとファンタジオ 東京へ行く)n°49 2006年Dupuis刊
作画:Munuera(ムニュエラ)
シナリオ:Morvan(モルヴァン)

今回紹介するのは、全学期にアテネのBDの授業でテキストとして使った『スピルーとファンタジオ』です。

もともとは1938年にRob-Vel(ロブ−ヴェル)という人に創作されて以来、作画とシナリオを変えてシリーズとして作り続けられて来た作品です。
内容も新しい作者達の自由でシリーズといっても縛りはほとんどないのですが、これ以前の刊では表紙の一番上に赤い帯で「●●(著者名)によるスピルーとファンタジオ」という具合に著者ごとのイマジネーションによるカラーを強調していたようです。
大まかなパターンは決まっているが、後は自由に創作していいようです。サイズは大判(320×240)と決まっているようです。
ページ数ももともとは68ページ(4折ですか)後に48ページや54ページと色々あるようですが、基本は折の倍数だったようですね。

Dupuisから出ているシリーズはFranquin(フランカン)、Roba(ロバ)、 Will(ウィル)、Greg(グレッグ) 、Fornier(フォルニエ)、Nic et Cauvin(ニックとコヴァン)、Tom et Janny(トムとジャーニー)、Morvin et Munuera(モルヴァンとムニュエラ)、と作者が変わるとともに、絵柄も変わっています。
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スピルーとファンタジオ、そして相棒のリスのスピップは江戸時代にいた。。。訳ではなく、誘拐されたルーンとコウという二人の子供の行方を探すために、イトー・カタというマジシャンに乞われて日本へ隠密で調査に来ていた。
そしてここは隅田川の脇に建てられた『江戸リゾート』という東京ドーム並みの巨大テーマパークの中。ここで誘拐の手がかりとなる因縁の人物の完成披露記者会見が行われるという事で、記者として潜入していたのだ。

しかし会見の前から既に中でドタバタと騒動を起こすファンタジオにスピルーとスピップは半ば呆れ気味。(大人しく観光出来ないんかい?!)
記者会見で誘拐された子供の一人を見つけたスピルー達がイトー・カタと連絡をとりながら奪還しようと様子を伺っていると、一人の女の子が現れ超能力を使って男の子を一人奪還しようと戦いを挑み始める。相手方もヤクザを繰り出し対抗する。スピルー達は二人を助けようとするが女の子の圧倒的なパワーに巻き込まれ、ついでに忍者軍団まで現れ、敵か見方か分からない混沌とした戦いの中、女の子は力つきて気絶してしまう。
とりあえず女の子を連れて山手線を乗り継ぎイトー・カタとの待ち合わせの銀座、歌舞伎座へと急ぐスピルー達であったが、その途中で目覚めた女の子にファンタジオは財布やホテルの鍵を盗られて逃げられてしまう。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
とここまでが前半の導入部分。
さすがに作者二人して日本へ取材に来ただけあり、海外のコミックが日本を描くと妙に変なのですが、地に足がついた描写ができていて今の日本の風景をちゃんと描いてくれている所は読んでいて好感が持てます。(所々可笑しいのは愛嬌っていうか。。。ちゃんと通訳してあげれば良かったのにという感じで、むしろ「惜しい!その間違い!」って感じです。)
最近はネットでも街並が覗けるし、日本のマンガ家を目指す人の資料として、街並などの資料写真集が出ていて、海外のMANGA好きな作家さん達はそういう物を参考に描いているので、妙にリアルはリアルなんですが、MANGAに近づけようとするあまりに違和感がある事がおおいのですが、彼らの場合、スタイルはあくまでもBD(バンドデシネ)というのを貫いているため、妙に外人が押したデフォルメされた日本人や、変な名前もエキゾティックで面白い。(オタクなヤクザの名前が「マンカガナ」ってすでにアナグラム?マンガかな?)
と、思って読んでいるのは日本人だけかもしれませんが。

色々と突っ込みどころはあるんです。
後半で渋谷のハチ公に超能力で生命を与え、ファンタジオが仲良くなって西郷どんのお供よろしく連れて歩き、一緒に戦うのですが、最後にフランスへ帰る時に成田空港のロビーで「またきっともどってくるからね!待っててね!」なんて事いって、かわいそうに置き去りにしてしまうんです。
もといた渋谷ならまだしも、なんで成田のロビーにちょこんおすわりしてなきゃならないのかと。本当にちゃんと忠犬ハチ公の話、説明してあげたのかな〜?
そしてリスのスピップはなんであんなに毒舌家なのかと。
あと代々木公園の外で自然の樹木や水を超能力で操ってトランスフォーマーみたいに戦うって言うアイデアはいいけど、そこ、明治神宮だから。
あれ破壊したら、ただ事じゃすまないから。

この日本編がどうもあまり評判がよくなかったらしくて、このコンビでのシリーズはここで終り。
そしてシリーズは新たな幕開けを。。。
作画:Schwartz(シュワルツ)
シナリオ:Yann(ヤン)
こちらは舞台は1942年という占領下。ちょとシリアスみたいですね。

おまけで、アニメーションもみつけたので。
2009.07.30 Thursday ... comments(0) / -
#CLICHES d'amour LOUSTAL/PARINGAUX Les Humanoïdes Associés
『CLICHES d'mour(クリシェ・ダムール)』1982年 LOUSTAL/PARINGAUX  Les Humanoïdes AssociésCLICHES_LOUSTAL

以前も一度紹介した事のあるLOUSTAL(ルスタル)というとてもオシャレなBD作家の
作品です。

あえて訳せば、「愛の情景」とか「ありふれた愛」という感じでしょうか。
今回もPARINGOUX(パランゴ)と組んでのハイソな大人のヴァカンスの
恋愛、あるいは出口のない愛、といった様々な情景を描いた短編集です。

 L 'Amour est une plante verte (6 pl. coul.)』(愛は観葉植物のようなもの)
La femme blanche (8 pl.)』(白人女)
La nuit de l'alligator (18 pl. coul.)』(ワニの夜)
の三本の短編からなっています。

借りていた本だったので、ざっと目を通したという感じですが、
中でも『 L 'Amour est une plante verte (6 pl. coul.)』は
70年代の避暑地の出来事という感じのストーリーでしっとりとしたいい話でした。
とある避暑地のホテルでの主人公(男性)の
出会いと永遠の別れを描いているのですが、
若い男女の恋愛ではなく、プリンセスと呼ばれている年老いた女性と
彼女に(恐らく)買われた男との一夜の出来事を男が
彼女が到着する前から旅立つまでを回想している話です。

同情でもなく哀れみでもなく、ただ愛おしかった。
大人ですね。

La femme blanche (8 pl.)
これは黒人ボクサーと白人女性の話で、当時まだ黒人と白人がつきあう事が、
暗黙のタブーとされ、宗教的な団体から迫害を受けていた頃の話で、
やさぐれた男と女の恋愛は、行きずりであろうとも許されない行為だったんですね。
(今でもまだそういう感情は残っているとは思いますが)
ラストのページは、二人の悲惨な行く末を暗示しているようでした。
ちょっと違っていて、掲載時はもう少しラテン系というかあまり白人っぽくありません。
BDとして発行する時に書き換えたのかもしれませんね。
色々と問題があったのでしょう。

La nuit de l'alligator (18 pl. coul.)
これはじっくりと読む時間がなかったので残念なのですが。
ストーリー自体はいくつかのエピソードが同時進行していて、
主人公の女性の過去のエピソードと、
彼女にまつわる男(お金持ち)が殺し屋に殺される話。
(これが殺し屋視点で、結構カッコいいです)
もうひとつくらいあったような気もするけど、
それらが現在の彼女(バスルームで自殺しようと剃刀を手首に当てている)と
同時進行しています。

この作品だけは他の2作と比べて、着彩の仕方が違っていて絵の雰囲気も違います。
色々とネットで調べたら、どうもこのBD自体がルスタルの作品の中では、
それまでの水彩やカラーインクなどで着彩していたスタイルから、
パステルやガッシュのような他の画材で描く方法を色々と模索していた時期の、
ターニングポイントとなるような一冊と評されていいるんですね。

コマ割りの仕方も独特で、左ページの同じ位置のコマに、
現在の主人公の女性がバスルームで自殺する様子が描かれ、
これが現在の時間軸。
そして見開きの他のコマでは、彼女にまつわるいくつかのエピソードが同時に
進行するという作りになっていました。(たしか。。。)
映画で言うフラッシュバックを取り得れた独特のコマ割りで、
BDでもこういう形で進めるというのは、とても珍しいと思います。

このBDはアテネのクラスメートが阿佐ヶ谷の古本市で見つけたと、
貸してくれたのですが、本の最後のページに覚え書きがありました。
この本、気に入ってたんですね。
どういう経緯で売られて来たのか分からないけれど、
素敵だったのでちょっとその写真も載せておきます。
なおこのBD(バンドデシネ)は表紙をかえて何度か再販されているようです。

追記:
上記のLoustalのサイトを見ていたら、2008年に『New Yoker』の表紙を三回担当しているんですね。
それが結構かっこ良くて素敵です。
イラストの感じはだいぶ違うけれど。
NYの表紙ってストーリー仕立てのようになっていて、これも3回描く事が決まっていたからか、メインのカップルはいつも画面の同じ位置に同じポーズで配置されています。
旅がテーマなのによく見るとなんか服装と 場所がズレているあたりが面白いです。
        
2009.07.16 Thursday ... comments(0) / -
#『国際日本学部シンポジウム「メビウス×浦沢直樹+夏目房之介」(司会:藤本由香里准教授)』
JUGEMテーマ:Bande Dessinee

明治大学でのメビウスのシンポジウムに行ってきました。
11時過ぎに整理券を受け取りに行ったのですが、その時点で350番台。
最終的には二階まで満席の様で、入り口のところで『ユーロマンガ』Vol.1を配布していました。(フレッドさん、がんばってるな〜)

シンポは二部構成となっていて、一部はメビウスの紹介も兼ねて、藤本さんからメビウスへのインタビュー。
二部では、浦沢さん、夏目さんを交えての、メビウスのBDの漫画家への影響、特に描線としての影響に視点を搾った対談。
そして最後はおまけのハプニング!
仏語で聞き取るようにしていたので、通訳されていた内容と多少違うと思いますが、自分の記録として内容をまとめておきます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Q1 『ブルーベリー』が代表作ですが、なぜウェスタンを選んだのですか?
A1 第二次大戦後、ウェスタンはアメリカ文化の象徴であった。
つまりアメリカ人とはヨーロッパからの移民であり、それは元からいた住民との文化の交流でもあり、またメビウスの世代にとってはテクノロジーの台頭によりインディアンの文化が消失の危機にさらされた事の象徴でもあった。
『インサイド・メビウス』という作品の中で、ジェロニモとビンラディンの邂逅があるが、立場ややり方の違いはあるがどちらも外からきた文化にたいする旧世代の抵抗のような行為において共通点があると思う。
自身が50年代の半ば、17歳の頃に離婚した母親とともにメキシコで過ごしたことも、砂漠のような乾いた風景をよく描くようになるという形で影響があったと思う。

Q2 あなたにとってのアメリカとは?
A2 10代の頃過ごした50年代のメキシコには、まだ19世紀の文化が残っていた。
ジャン・ジローからメビウスになってからも、当時の体験が重要だった。
アメリカ文化はとても魅力的であり、甘美であり、同時に危険でもあり、それは日本でも同様に感じていると思うし、フランスもその危険性を感じている。
だからアメリカ時代(1988年)に、スタン・リーの原作で『シルバーサーファー:パラブル』 Silver Surfer: Parable (1988年〜1989年、メビウス名義)の作画を担当した時にも、アメリカ文化に足を踏み入れ深入りしすぎないように注意していた。
※Copine-m注釈:ここでの表現が面白くて、<poser le pied dans le territoire>という表現で、領地に片足を突っ込むというような言い方でした。なんか本当に敵陣に踏み入るみたいな異文化に対する用心深さを感じます。

Q3 メタルユルラン誌に「ラルザック」を掲載した頃の時代背景と、何を目指していたのか?
A3 7〜8歳の頃はまだ子供向けのBDしかなく、そういう雑誌を読んでいた。
17〜8歳の頃になると、親が図書館から借りて来た画集などを目にし、ピカソなど大人向けのアートに目覚める。
当時はまだBD(バンド・デシネ)といえば、まだ子供向けの読み物であり、漫画家を目指し始めた10代半ば頃に、BD作家になるべきか?画家として大人向けの作家を目指すべきか悩んだ末、大人向けのBDを描く道を選び、「メタル・ユルラン」を発行した。
※Copine-m注釈:大人向けの表現という意味合いで、<lafiguration narrative>(物語風の表現)という言い方をしていました。
砂漠の乾いた描写を通して、読者が心象風景を感じたりするようなメビウス独特の表現の事でしょう。


Q4 『ブルーベリー』から『ラルザック』ヘ(つまりジャン・ジローからメビウスへのスタイル(描線)の変化とは?
A4 スタイルの違いを指摘されるが、子ども向けのBDからSFやファンタジーをメビウス名義で表現する事での画家としての描写の変化の現れである。
デッサンとは「わたしというもの」を示す窓のような者であり、(それは変化するものであるから)玉手箱のように何が現れるか分からない。
とはいえ、市場の要求とのバランスは重要で、商業作家としては売れる物も描かなければならない。「タンタン」や「アトム」のように、読者の要求を保ちつつ描き続ける事は凄い事である。
自分の考えや内面を他人に見せる事は恐ろしいことであるが、面白い。

ホットコーヒーここまでが前半です。最後の話は商業作家としても成功しているプロとしての話としてとても興味深かったです。
メビウス氏の仏語は聞き取りやすく、アグレッシブでなく子どもでも分かり易い話し方でした。真のプロとは、子どもでも理解出来るような話し方ができる人であるという私の中の確信がますます強まりました。
では後半戦に行ってみましょう!ホットコーヒー

浦沢氏、夏目氏それぞれのメビウスとの出会いについて。
浦沢氏:1982年頃の「スターログ」誌の紹介記事で初めて知る。
「あ、まさに俺が描きたかった絵はこれだ!」と衝撃を受けた物の、自分がメビウスの真似をしてなる必要も無く(二人はいらない)オリジナルの道を模索し作家デビューする。
夏目氏:「ヘヴィーメタル」誌版の「ラルザック」を古本屋で見つけて知る。
当時(7〜80年代)はカウンターカルチャーの一部として、青年劇画誌やSF雑誌に海外マンガが紹介されていた。
『SF宝石』において、「日本のメビウス」という紹介文とともに大友克洋の「FLOWER」が掲載されていた。そこから「NARUTO」の作家や鳥山明などにメビウスの影響は広がって行った。
手塚氏は「メビウス雲」と名付けた雲の描写を弟子達に指示して描かせていた。

夏目氏Q1 メビウスから観た日本のマンガとは?
A1 1981年頃アングレームに手塚治虫が招待された。初対面の時の印象は「シンプルで子どもっぽいマンガを描く人」でとても親しみやすいベレー帽をかぶり耳にペンをさし、眼鏡の奥でにこやかに笑っている人だった。
翌年だったか82か83年に手塚氏が自分を日本へ招待してくれた当時は、まだマンガはフランスでは知られてなかった。
そして手塚氏の仕事場での分業スタイルや、アニメーション(16mm版の「火の鳥」)を見せてもらい、彼を見誤っていた事を痛感し、スバラシイ作家だと確信した。
また街の書店でマンガ(モノクロのソフトカバー:つまり単行本)やマンガ雑誌が普通に大量に売られているのを目の当たりにしてショックをうける。
マンガのトーン使いも新鮮であった。
まるでコロンブスが新大陸を発見したような心境であった。
またSEXやエロの表現にもびっくりした。
『AKIRA』を描く前の大友克洋にも感激した。
帰国後、フランスのあちこちでマンガの重要性、素晴らしさについてプロパガンダのように語りまくり、日本文化を紹介していた。
※Copine-m注釈:このあたりはちょっと注釈が必要でしょう。
まずフランスのおけるBDの書店での取り扱いですが、いまでこそfnacやHMVなどでフロアが用意され一般の本と一緒に売られていますが、普通はBD(バンド・デシネ)専門の書店でしか扱っていません。また日本のように週間や月刊のマンガ雑誌もほとんど存在しないし、それをキヨスク(フランスにもあります)で売っていません。
だから駅の売店にマンガが売られていて電車の中で読まれていたし、また青年誌に裸の女性などか描写されているのはかなりショッキングだったのではないでしょうか。
なんとなくヨーロッパ=性表現におおらかという印象が「エマニュエル夫人」とかサドとかによってありますが、当時BDにおいてはそんな事はなかったと思います。

大友氏のメカやロボットなどの表現に革命的な物を感じ、大友のスタイルをメビウスがまねてみたけれど(この部分は聞き間違いかもしれません)大友には大友のスタイルがあり、上手くはいかなかった。
マンガは人物の内面描写が素晴らしい。

浦沢発言 (スケッチブックに
えっと、えっと」とぶつぶつ絵を描きながら)メビウスから自分が学んだ事は、こうやって今自分は「えっと…」といいながら絵を描いたけれど、その時点で頭のなかに何となく描きたい物があり、それを描きだす時に描線の迷いが無い。
このなんとなくという『ゆらぎ』の感覚すらもコントロールして描く事を学んだ。
陰影をつける描写ひとつさえも必要だから描いているので、下書きをして描くのではなくいきなりペンで描いてもこういう絵えお描くべきである。
しかし日本の仕事の現状においては、生産効率をあげる為にアシスタントを雇い、彼らに自分の描いて欲しい絵を描いてもらう為に写真などを資料として渡すと、「これをそのままトレースしてもいいですか?」と聞かれてしまう。
本来なら自分の線で描きたいところだが、それを言葉で伝える事は難しく、「ゆらぎの感覚」がうまく伝わらないくらいなら「ま、写してもいっか」となってしまう。
しかし本来はトレースはコピーであり、頭の中から出て来た表現ではない。
写真の風景を描くとしても、それが頭の中で(再構成された自分のみたい風景として)現れ描くのが理想である。

夏目氏Q2 独特のコマの使い方について?
A2 即興で四角いコマを一つ描き、左に何か文句をいっている人物を描く。この時点では
まだ何を書くかはっきりとは決まっていない。
右の空いた部分に二人目の文句を言い返しているような人物を描き吹き出しをつける。
これで次のコマに続く。
二つ目のコマを描き、二人が空中でダンスするようなイラストを描くと、なんとなくハッピーエンドっぽく結末がつく。(ものすごく描くのが速いです)
しかしこれはあくまでも即興であり、実際には台詞があり最後の一コマまで厳密に計算されているので、その規制の中で空間と時間を操る。
※Copine-m注釈:このあたりはもうちょっとつっこんで話を聞きたかったのですが、かなり専門的になってしまうのと時間もなかったので追求不足で残念でありました。
というかなんか質問の意図と答えがずれていたような。。。
即興で描くメビウスの線に迷いはなく、かなりフリーに描いている印象はありましたが、実際に作家が一冊のBD制作にかける時間のスパンが1年2年は当たり前という状況をみると、実際の制作においては下書きがなくともかなり何度も没原稿を描き、構成を詰め書き直しているのだろうという事が想像できます。
つまりメビウスの空間と時間のコントロールは当たり前ですが、そうとう計算されたもの、あるいは繰り返す事により革新的に手から描かれたものではないかと思います。


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その後は会場にいらしていた著名作家さんのご挨拶。
永井豪先生のうしろにちらっとうつっているのは。。。。おお!!荒木飛呂彦先生じゃないですか。
この時点で、「ズキュ〜〜ンラブラブ射手座」となってしまい、その後の記憶は定かではありません。
谷口ジロー氏もいらしていて、それぞれのメビウス体験やら思いを語って下さいました。
ちなみに荒木氏は「大友先生や鳥山先生、浦沢先生が雑誌で直接メビウスをしった弟子だとすれば、自分は「へぇ〜大友先生が影響をうけたメビウスってどんな作家だろう?」と二次的に興味をもった孫弟子です」とおっしゃってました。

最後にメビウス氏の締めのお言葉として、もともと北斎や日本文化や伝統に興味が会った事。1920年代の仏男は女性をナンパする時に「家に北斎の版画があるけど見に来ない?」と誘っていたらしいけれど、今はきっと「家にマンガがあるけど見に来ない?」というのだろう。
なんて話も付け加えてくれました。

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あっという間に3時間が過ぎ、時間が足りないなぁという感じでした。
でもけっこういい対談だったと思います。さすがにデディカスはありませんでしたが。
長々と読んで下さいありがとうございます。
2009.05.09 Saturday ... comments(3) / -
##『LE COMBAT ORDINAIRE(ありふれた戦い) 2.LES QUANTITES NEGLIGEABLES(忘れ去られた人々)』MANU LARCENET(マニュ・ラルスネ)
JUGEMテーマ:Bande Dessinee


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『LE COMBAT ORDINAIRE(ありふれた戦い)2.LES QUANTITES NEGLIGEABLES(忘れ去られた人々)』 (リンク先の画像の所をクリックすると、本文を少し読む事ができます)

C'est l'histoire
d'un photographe convalcent,
d'un genie mediocre,
d'un cargo qui sombre,
et du cheval de Zorro.

これはある回復期にある写真家と、
凡庸な天才と、
陰鬱な貨物船と、
ゾロの馬の話である。


1巻で、恋人、愛猫、そして年の離れた友人との別れを体験した主人公のマルコのその後の物語である。
恋人のエミリーとは仲直りをし、一緒に暮らすようになるものの、相変わらず結婚する気も子供を持つ気もないマルコ。
弟夫婦に娘が生まれたことから、ますます子供を欲しがり、二人で暮らす広い家へと引っ越したがるエミリーとの仲もなんとなくぎくしゃくしている。

そんな時、パリの友人のギャラリーで、偶然居合わせた憧れの著名な写真家:ファブリス・ブランと合同展を開けることになったマルコは、すっかり有頂天で自分の生まれ育った港の造船所:アトリエ22をモチーフに、そこに勤める父の元同僚達のポートレイトを撮り始める。

造船業という下降をたどる一方の場所で働く家族のような父の元同僚達が直面している労働問題。低賃金で働く移民達に仕事を奪われ、極左思想に傾く一部の人の姿を目の当たりにしてショックを受けるマルコ。
父のアルツハイマーもかなり進行し、そんな父を気丈に支える母の姿に自暴自棄になり深夜の繁華街を徘徊してしまう。

今回も、様々な出来事がマルコを精神的に追いつめてゆき、自暴自棄になってしまうのだけれど、後半の合同写真展での出来事のあたりの反応を読むと、以前よりは精神的に強くなり、怒りをぶちまけるだけれなく、上手くコントロールできるようになってきているようです。

サブタイトルの「LES QUANTITES NEGLIGEABLES(忘れ去られた人々)」とは、アトリエ22で働く造船所の人々の事で、彼等のポートレイトは知人達にとっては素晴らしいものでも、世間一般の人々にとっては魅力的でもなく、まるで奇形のような姿にしか映らない。
つまり取るに足らない、いてもいなくてもいい人という事。
二人の家へ郵便を早朝に配達にくる、陽気な郵便配達の女性もなかなか良いキャラで、誰も心に孤独を抱えて生きているという事がわかるエピソードがあります。
前回に続き、ご近所の父のもと戦友の老人もちらっと出てきますが、こちらとの仲直りはまだ難しいようですね。
裏表紙に書いてある解説の「et du cheval de Zorro.(ゾロの馬の話)」については、読んでからのお楽しみ。

今回は身近な人物の死というリアルなテーマに真っ正面から取り組んでいて、誰にでもいずれは訪れる出来事として深い余韻を残します。
自分が生きている内に出来ること。
愛情表現というのは、結局自分を擲って相手に分かりやすい形でなさなければ、理解してもらえないものなのかもしれません。
それが少しずつ分かってきたマルコがこの先どういう風に変化をしていくのか楽しみです。
2008.07.13 Sunday ... comments(0) / trackbacks(0)
#『LE COMBAT ORDINAIRE(ありふれた戦い)』MANU LARCENET(マニュ・ラルスネ)
JUGEMテーマ:Bande Dessinee




『LE COMBAT ORDINAIRE(ありふれた戦い)』 (リンク先の画像の所をクリックすると、本文を少し読む事ができます)
MANU LARCENET (Manuさんのブログです。いろいろあって面白いです。トトロがすきなのね)

C'est l'histoire
d'un photographe fatigue.
d'une fille patiente,
d'horreures banales,
et d'un chat penible.

これはある疲れた写真家と、
辛抱強い娘と、
ありふれた憎悪と、
そして痛ましい猫の話である。

BDの背表紙に書かれているこの文が、このBDのすべてを物語っている。

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そろそろ30に足がかかっているであろう写真家のマルコは、長年通っていた精神科のセラピーをやめる決心をした。その足で、パリ郊外に住む弟の家を訪ね、とりとめのない馬鹿話しとゲームとドラッグで子供の頃のように夜更かしをし、翌日は港町(おそらくはブルターニュ?)に住む両親をたずねた。
かつては高速道路を運転するのが怖くてたまらなかったが、セラピストに「棺桶にのって猛スピードで疾走するのと同じ事だから怖くて当たり前」といわれ、セラピーなんてバカバカしいと見切りをつけ、今は普通に運転できるようになった。

マルコは両親と、特に父親と上手くいっていない。どう接していいのかがよくわからないから、会うと考えただけで気がめいってしまうから、精神安定剤を飲んでから玄関をノックする。
庭で一日中、沖を通る船の行き来をながめている父親は、片目と足が不自由で、惚けが始まったかと思うようなドキッとする冗談を言ってはマルコを心底驚かせる。
母親はいつまでも彼を子供扱いし、子供の頃好きだった料理を作り、仕事の心配をし、お小遣いは足りているか?と帰り際まで聞いてくる。
そんな平凡そうな両親でも、戦争の話しとなると「話す事なんかまったくないよ!」と語りたがらない。

翌日、長いドライブを経て田舎にある自宅へもどると、待ちくたびれた愛猫:アドルフはご機嫌斜めで思いっきりマルコの顔を引っ掻き、外へと出かけてしまう。
仕事部屋に入り、壁いっぱいにはってあった仕事の写真(どうやら戦争報道カメラマンのようである)を全部剥がして袋に無造作にしまってしまう。
仕事も長期休暇と決め込んで田舎にこもって数ヶ月がすぎたものの、なかなか思い通りの写真はとれず、編集者からの仕事の誘いの電話もつれなく断ってしまう。
そして深夜に起こる発作。
いつ、どこで起こるか分からない、原因も不明のこの発作。
しかし名前を付けられずとも、それを受け入れともに生きていくと決めるとなんとなく安心するものである。

そんなある日、いつものように猫をつれて森の中を散歩しながら写真をとっていると、そこの所有者であるという感じの悪いドーベルマンを連れた男が現れ、アドルフが噛まれてしまう。
憤るマルコに対し、「ここは自分の私有地であるから勝手に入り込んできた方が悪い。次にみつけたらどうなるか責任はもてないぞ!」と恫喝する男。
すっかりパニックを起こし、逃げていったアドルフを探すマルコに、優しそうな老人が「この猫はあんたのかね?怪我をしとるみたいだから、医者に連れて行った方がいいんじゃないかね?」と猫を連れてきてくれた。
礼もそこそこに都心の獣医のところへ。
そこで出会ったかわいらしい女性の獣医:エミリーに一目惚れし、思わず「写真を一枚撮らせてください」と頼むマルコ。

それから数日後。過去の写真を整理してから写した写真はこれを入れて二枚だけ。
編集者からもクビを言い渡され、まったくいいことはない。
野原で一人怒りをぶちまけていると、アドアルフを助けてくれた老人があらわれる。
酒を勧められ、自己紹介するでもなくなんとなく止めたばかりの写真の仕事の事を自嘲気味に語るマルコに
「生まれ変わらなくてはいかんよ…」
老人の一言が胸に響く。
老人と別れて家へもどると、そこへはアドルフのその後の状態を心配してエミリーが訪ねてきていた。
少しずつ動き出すマルコの日々は…

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ここまでが前半部分で、この後エミリーと恋人同士になり、老人ともある種の友情のような関係を築き始めるマルコであったが、「ハリネズミの憂鬱」のようなマルコの精神構造は、誰かと親密になりたいと思ってもある一定のラインを超えると相手を傷つけてしまう。
エミリーと週末だけ一緒に暮らす日々が続き、「そろそろ一緒に暮らさない?」といわれただけで恐れおののき不機嫌になってしまう。
そして名前も過去もかたらず、写真を撮られる事もこばむ老人の過去が自分の父親と関係があり戦争とも関係があったと分かった時に、ついに押さえきれない怒りの感情が爆発し、すべてを壊してしまうマルコ。
他の人よりも繊細で、自我が強く、死という観念に対する恐れとともに死の風景に魅せられているような所もある。
セラピーに通い、時々発作も起こすが、決して特殊な人間の話ではなく、どこにでもいる普通の人間の話である。

最後に絵柄についてもふれると、一見シンプルな線で雑に描かれた絵のようにみえるけれど、実に表情豊かな、伝わってくる絵柄なのだ。
文字で受け取る情報もあるけれど、このBDは画面全体からうける印象と文章とのバランスがとてもよくて、絵(この場合、イラストの線だけでなく、色の使い方、構成などトータルな意味で)によって助けられる部分が非常に多い。
おそらく文章だけで読むと、それほどは感動しないかもしれないけれど、ゆっくりと画面の隅々まで眺めながら、時に前のページにもどったりしつつ読むと、作者の言わんとするニュアンスをしっかりと受け止める事ができるだろう。

なおタイトルは、とりあえず日本語に訳しましたが、読み終わった今でもこれと納得できる日本語がうかびませんので、(仮)という事で読んでおいてください。
これ、ぜひとも日本語に訳したいBDです。
なおこのシリーズは4巻まで出ているみたいです。

2008.03.27 Thursday ... comments(0) / trackbacks(1)
#ニコラ・ド・クレシー講演会と『老人と鳩』の上映
JUGEMテーマ:漫画/アニメ

2008年3月6日〔木)19:00〜
ニコレ・ドクレシー サイン
フランスB.D.界の巨匠の一人、ニコラ・ド・クレシーの講演会とアニメ『老人と鳩』の上映 
へ行ってきました。(日本語の解説を探したのですが見つからなかったので、とりあえずアマゾンにリンクしときます。)

ご本人は現在京都のヴィラ九条山に長期滞在中で、その滞在記はこちらで観ることができます。
ひたすら目に写る物を写しスケッチしているのが伝わってきますが、その写真をみていると、彼のマテリアルやテクスチャーに対するこだわりを感じます。
風景全体というよりも、そこに浮かび上がる文様のようなものに興味がある感じで、この感覚は初期の作品から様々な手法での絵画的表現を模索し続けている彼ならではの感覚ではないでしょうか。
私自身も、何度もペンキを塗り直しては流れて風化した木製のドアとか、葡萄の木の木肌の荒々しさとかに惹かれるので、その「時の流れによって描かれた(作られた)」物に惹かれるという対談での彼の答えにも非常に共感を憶えました。

一部は『老人と鳩』の上映。
これ、『ベルヴィル・ランデヴー』のDVDに同時収録されていたようなので、観たことがある人も多いかもしれませんが、なかなかひねりがあって、色々と解釈できる面白い作品でした。
********************************************************************
 観光地パリはエッフェル塔の前で記念の8mmを撮るアメリカ人観光客の親子。
そこにを通りかかる痩せ細り目ばかりがぎょろりとした警官。
いつもお腹を空かせていて、カフェで他人が食べるサンドウィッチを穴が開くほど凝視したりと尋常ではない様子。
いつものように公園を見回っていると、丸々と太った鳩が沢山いる。
隠れて観察していると、老婦人がケーキを与えている。
こっそりと後をつけ、アパルトマンを確認し帰宅する警官。
部屋は屋根裏で薄汚れていてゴキブリが這い回っている。
夕食は前日の残りの魚を1/4だけ。
ふと窓の外を観ると丸々と太った鳩が覗いている。
その中の一羽を捕まえ頭以外の羽根をむしった彼はふとある事を思いつく。

そうだ、鳩のカッコをすれば自分もあの老婦人から餌がもらえるかもしれない。

ある日意を決して鳩そっくりのかぶり物を造り、それを被って老婦人の部屋を尋ねた警官は、その日から鳩になりすまして、毎日のように食事をねだりにゆく。
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その後の展開は観てからのお楽しみなのですが、老婦人が部屋の中を布のスリッパみたいなのを靴の上に履いて摺り足で床磨きしながら歩くシーンを観て、「ああ、スノッブな生活をしていた人だったのね〜」と可笑しくなる。
で、終わってからも「あのスリッパみたいなのってなんていうんだっけ?」という話をフランス生活が長かった人達としていたのだけれど思い出せず。。。
ああ、気になる。
あのシーンであの老婦人の人格が分かる人には分かる、かなり笑えるシーンなんだけどね。
サインするドクレシー上映の後は、ド・クレシーと細萱さんとの対談。
旅行記を中心にこれまでの作品についての説明と、彼の作品の特徴でもある
●太った人について
特に意識していない(というのは彼のユーモアだと思うけど)けれど、言われてみれば太ったキャラクターが多いかもしれない。

●キャラクターについて
意外にも(失礼)かわいいものが好きらしい。Qooとかモリゾーとキッコロとか、そういうものにも惹かれていたみたいです。

●使用画材や制作方法などについて
色々な方法を試しているみたいで、コンピューターでの着彩も試したけれど、やはり手でつけるのがいいみたいです。
たぶんマテリアルの手触りが伝わりやすいからかな。

その後の客席からの質疑応答では長編映画はいつ作るのか?とか(これは資金難でとん挫しているらしい)、日本では当分翻訳される予定がないらしいけれど、ルーヴルから依頼を受けた作品は是非出版して欲しいとか、色々と丁寧にかついい感じに慇懃に答えてくれました。
写真は公演後、ファンにサインとデディカスをするド・クレシーさん。(後光がさしてますね〜)
背が高く、ジダンのようなルックスの方でした。
ちなみにイラストは相手によってたぶん全部違うイラストだったんじゃないでしょうか?
私のは太ったおっさんですが、別の人のは痩せた男の後ろに船が通っているようなイラストでしたから。

いつもながら、細萱さんお疲れさまでした。
作家の全体像が分かる紹介と、今回の長期滞在も見据えての旅行記を中心とした質問はなかなか興味深かったです。

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2008.03.10 Monday ... comments(0) / trackbacks(0)
#BARNEY ET LA NOTE BLEUE(バルネイとブルーノート) LOUSTAL/PARINGAUX(ルスタル/パランゴ)
BARNEY

今回紹介するのは、『BARNEY ET LA NOTE BLEUE(バルネイとブルーノート)』 LOUSTAL/PARINGAUX(ルスタル画/パランゴ著)
1994年 CASTERMAN(カステルマン社) studio(A UIVRE)(ステュディオ ア・スィーヴル)です。
詳しいいきさつは分からないのですが、ジャズが好きだったパランゴがシナリオを書き、ルスタンが画をつけたのこ作品はBD(ベーデー/バンドデシネ/フレンチコミック)においてかなり画期的な作品だったようで、それはいわゆる漫画の描き方、コマがあって吹き出しがあって台詞でストーリーを紡いでゆくといった型ではなく、テキストはコマの下に時にナレーションであり時に誰かのモノローグでありといった形で添えられれいるだけなのです。
だから映画のような淡々とした印象を受けるのですが、イラストの方は水彩とガッシュを使ったような、かなりコントラストがはっきりとした色あいで、50年代の雰囲気:ソワレ(ホームパーティーやダンスパーティーなどを指します)や、当時のクラブの気怠い雰囲気が表現されています。

ストーリーは13章からなっており、現在から過去へと遡り、バルネイが亡くなるまでをたどった形になっていますが、実際に彼がこのような人生を送ったのか?というとその辺りはよく分かりません。しかしこのBD(ベーデー/バンドデシネ/フレンチコミック)を発表したあとで、著者がバルネイ本人から連絡をもらい会うことが出来て、このアルバムにちなんだ架空のサントラ盤のようなものが発売されたようなので、実際はこれほど悲惨な末路を迎えてはいないのではないか?と思われます。
サントラ版はこちらdownです。
ラ・ノート・ブルー
ラ・ノート・ブルー
バルネ・ウィラン,フィリップ・プティー,リカルド・デル・フラ,アラン・ジャン=マリー,サンゴマ・エベレット


CHAPTER 1:BESAME MOUCHO(ベサメ・ムーチョ)
CHAPTER 2:L'HABIT DE LUMIERE(闘牛士の衣装)
CHAPTER 3:PAULINE(ポーリーヌ)
CHAPTER 4:ROUND ABAUT MIDNIGHT(ラウンド・アバウト・ミッドナイト)
CHAPTER 5
CHAPTER 6:VOLEURE D'AMOURE(愛の盗人)
CHAPTER 7:UN BAISER ROOUGE(赤いくちづけ)
CHAPTER 8:PORTRAIT DE L'ARTISTE AVEC SAXOPHONE(サックスを持った奏者のポートレイト)
CHAPTER 9:WHISPER NOT(ウィスパー・ノット)
CHAPTER 10:TRISTE AGAIN〔悲しみよこんにちは)
CHAPTER 11:HAREM NOCTURNE(ハーレム・ノクターン)
CHAPTER 12:BESAME MOUCHO(REPRISE)(ベサメ・ムーチョ〔リプレイ)
CHAPTER 13:GOODBYE(グッバイ)

と訳を付けてみましたが、「ベサメ・ムーチョ」はバルネイの十八番だったようで、彼の演奏は他の誰とも異なる個性的なものだったようです。

話はバルネイがパリで最初に仕事をするようになった、「ROCKY(ロッキー)」というクラブのオーナー:ボリス(レコード会社のオーナーでもあった)がとあるパーティーで、すでに亡くなっているバルネイの幻影を追いかけて妻のポーリーヌに「バルネイはどこだ?!」と問いつめる所から始まり、そこからバルネイとボリスとの出会いへと時間は遡り、三角関係になってゆくボリスの妻:ポーリーヌとの出会い。

バルネイが初めてパリへやってきた頃のエピソード。この頃、映画「死刑台のエレベーター」にジャズ・メッセンジャーの一員として参加したようです。そこで白人でありながらジャズをやる己の実力と限界を感じ、やがてニューヨークへの逃亡。

そして夫と子供を捨てたポーリーヌと2人で逃避行したり、ボリスの追っ手にボコられたり、ドラッグにはまったりと色々あり、結局2人は破局し、バルネイは新しくブロンドの歌手:ジョズィーと一緒に暮らしはじめますが上手く行かない。

結局2人でパリに戻ってくるのですが、ボリスと再び暮らしはじめたポーリーヌがバルネイの元へもどってくるはずもなくやがて悲劇が訪れます。

感情的な台詞があまりなく、あくまでも情景描写なので、読後感は淡々とした感じですが、一冊でバルネイというサックス奏者の魅力、愛憎、そして当時のジャズ界の音楽事情をうまくまとめたなぁと思います。
サイトの方には「ラウンド・ミッドナイト」という映画をとったベルトラン・タベルニエとパランゴ、出版社の人との対談がのっていますが、フランス人がどうして最初にアメリカの文化であるジャズの世界を選んだのか?と言われたというエピソードや、なぜサックス奏者を主人公に選んだか?といった事が語られていて、面白いです。

こういうタイプの作品は、バンド・デシネ独特ではないかと思います。どうも映画を撮るようにBDを描くというのが、ある時期までのバンド・デシネの特徴的な表現としてあったようで、いわゆる漫画やコミックスといった感じのものを描く人達とは別に、こういった芸術的な表現のできる場としてバンド・デシネを選んだ人達というのはかなりいるのではないかと思います。
実際、こうして絵柄だけみると、イラストレーターとして充分個性的で活躍できそうですよね。
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2007.02.12 Monday ... comments(0) / trackbacks(0)
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