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2009.08.03 Monday ... - / -
#『Le retour a la terre 1.LA VRAIE VIE』Ferri&Larcenet
『Le retour a la terre 1.LA VRAIE VIE』Jean-Yves Ferri&Manu Larcenet (『田舎暮らし=非電生活 1.ほんとうの生活』ジャン-イヴ・フェレ&マヌ・ラルスネ)
を紹介します。
出版:DARGAUD(ダルゴ)Poisson Pilote(ポワソン・パイロット)
リンクは出版社のDARGAUDの紹介ページで、表紙のイラストをクリックすると、中のページも見ることが出来ます。
ルトゥールアラテール1表紙

著者のひとり(イラストを描いている人?)、マヌがウィルスにかかったのをきっかけに、妻とパリ郊外(Juvisy-sur-Orgeらしいです)から田舎(BDの中では Les Rvenelle たぶん架空の地名じゃないかと思うんですが)へと引っ越した実話を元に、そこで体験する様々な出来事、都会と田舎とのギャップ、親切なんだけれどなかなかしっくり馴染めない田舎の人々との生活をコミカルに描いています。

可愛い絵柄に反して、主人公が自分の意志で田舎暮らしをはじめたのになかなかネットのない生活に馴染めなかったりと、かなり自己批判もこめたシニカルなキャラ設定になっていて、そのあたりは偏屈もののウサギが主人公のトロンダイムの『ラピノー』シリーズに似ているでしょうか。

タイトルは一般的な意味は『帰農』で、田舎で農耕生活に戻る意味なのですが、もう一つに意味に『アース』つまり、家電製品についている電気を逃がす回路の意味ももっています。この場合、ネットからの解放を意味しているのだろうと思い、「非電生活」としました。
もちろん主人公はまったく出来ていないどころか、ネットがないと仕事も生活もできないネット依存症のようなところがあるので、これもかなり皮肉ったタイトルなんですね。

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ある日マリエットとマヌは都会暮らしにうんざりしたので、トラックに段ボールいっぱいの荷物を積んで、ラヴネルで暮らすために引っ越しました…
ラヴネルは、フクロウがいて、田舎で、木がたくさんあって、花もいっぱいあって、鳥もたくさんいる所です…
僕たちが到着すると、管理人のアンリさんが鍵を渡すために待っていてくれました…

こうして田舎へ引っ越してきた二人ですが、マヌが一番最初にやった事は、コンピューター一式をだして全部配線して自分の要塞を作ること。

せっかく田舎へ引っ越してきたのに、ネットばかり観て、「ジキタリスの花ってすごいんだよ」といっているマヌに妻のマリエットは「ネットで観てないで、実際に探しに行けば?」と一言。
「そうだね」「あ、でもその前にこの花をプリントアウトしなくっちゃ!」

片っ端から友達に電話して田舎に引っ越したことを自慢しつつ、「やっぱり都会に帰りたい」と、引っ越したその日にホームシックにかかったり、せっかく引っ越して来たのに、段ボールはいつまでも片づかず、段ボールに埋もれた生活じゃないと静か過ぎる田舎の暮らしじゃ落ち着かないマヌにマリエットが激怒したり、スピードという名前の猫に新しいテリトリーを教えてあげようと田舎を案内して、鳥を捕らせようとするものの、まったくやる気無しの猫に鳥がたかって馬鹿にされたり。

それでも少しずつ家の外へと生活のテリトリーを広げてゆくマヌですが、地元の人達がまた変わっていてマヌにとっては珍獣にあうようなもの。
いつも窓の外から誰かが覗いていたり、ほんとうは親切で興味津々で色々と質問するのに「どうしてそんなこと色々聞くの?」と尋ねると「別に」とそっけないおばあちゃんや、木の上で生活している謎の人や、遊びに来たのに田舎に馴染めない従兄弟や、無口で親切な大家さん。

そんな田舎暮らしに果たしてマヌとマリエットは馴染めるのか?

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1ページを二分割して、そこに6コマ漫画が二つというページ構成がメインで、時々一枚のイラストに台詞が入ったカリカチュールのような漫画と6コマ漫画といったページもあります。

一つのエピソードが短いので読みやすいのですが、言葉遣いがかなりフランクなのと、時々裏の意味があったりするので、ネイティヴの人だとすぐにピンときて面白いみたいですね。
このシリーズは4巻まで発売になっています。
絵が可愛いので、フランス語がそんなに得意じゃなくても、絵を見てるだけでもなんとなくオチが分かるので眺めるBD(バンドデシネ=フレンチコミック)としてもお薦めです。
JUGEMテーマ:Bande Dessinee


2007.04.29 Sunday ... comments(0) / trackbacks(1)
#『poulet aux prunes』Marjane Satrapi
サトラピ・鳥のプラム煮

『poulet aux prunes』Marjane Satrapi(『鶏のプラム煮』マルジャン・サトラピ)
出版:L'association (アソシアシオン出版)Ciboulette (シブレット・コレクション)2005年出版
リンクはフランスのFnac(フナック)というフランスでは大手の書店のリンクで、ここの<Feuilleter les pages>というところをクリックすると、内容が2ページだけアップされているので、どんな絵柄かみる事ができます
こちらは2005年アングレームBD(バンドデシネ=フレンチコミック)フェスティヴァルで優秀賞を獲りました。

マルジャン・サトラピといえば、昨年、明石出版から
ペルセポリスI イランの少女マルジペルセポリスI イランの少女マルジペルセポリスII マルジ、故郷に帰るペルセポリスII マルジ、故郷に帰る
刺繍―イラン女性が語る恋愛と結婚
刺繍―イラン女性が語る恋愛と結婚

といった作品が翻訳出版され話題になったのでご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、この『poulet aux prunes(鶏のプラム煮)』はまだ翻訳されていません。
他の作品が、サトラピ自身の子供の頃から青春時代の自叙伝あるいは私小説的な内容だったり、BD(バンドデシネ=フレンチコミック)という漫画のようなコマ割りのある体裁ではなく、イラストエッセイに近いものであるのに対し、今回紹介する『poulet aux prunes(鶏のプラム煮)』は彼女の叔父にあたる音楽家が自殺を決意し部屋に閉じこもり断食しながら今までの自分の事や家族のこと、妻のこと、愛したけれど結婚できなかった女性の事などを回想する話で、物語性があり漫画としても彼女のモノクロの大胆な絵柄の魅力が生かされていて素晴らしいです。

物語は1958年、テヘランの街角でNasser ALI KHAN(ナザール・アリ・カーン)という著明な音楽家が子連れの女性とすれ違い「どこかでお会いした事がありませんでしたか?」と話しかけるところからはじまります。
女性は彼の事をまったく知らないと答え、Nasser ALI KHAN(ナザール・アリ・カーン)はそのまま楽器店へ壊されてしまったTar(三味線のような楽器みたいです)の変わりを買いに行きます。手に入れた楽器は今まで自分が使っていたもの程の音色を奏でません。仕方がないので、息子を連れて、知り合いに教えてもらった街まで夜行バスで買いに出かけるのですが、手に入れた新しいTarはやはり彼に音楽を奏でる喜びを再び感じさせくれる事はありませんでした。壊れてしまった楽器は元へは戻らない。それは絶望的な事で、かれはベットに横になり死を待つ事にしました。
しかし自殺する方法を色々と考えても選べないので、死の方で彼を迎えにくることを寝て待つ事にしました。

1958年11月15日、死ぬ事を決めて部屋にこもりベットに横たわってから八日後に亡くなるまでの現実の彼に起こる事と、彼自信のこれまでの人生の回想と彼が亡くなって子供達が大きくなってからサトラピ自信が掘り起こしたエピソード(主人公とは親戚どうしでみたいです)の3つのエピソードが交錯しながらストーリーは進んで行きます。

一日目:彼を心配して部屋に尋ねてくる自分に良く似たお気に入りの娘との靴にまつわるエピソード。

2日目:過去に政治犯として収容されていた事もある弟との母親とのエピソード。母が得意だった「poulet aux prunes(鶏のプラム煮)」という料理が大好物だった事を思いだし、大好きなソフィア・ローレンの胸にだかれて苦しみが少し和らいで眠りに付くのでした。

3日目:妻が「poulet aux prunes(鶏のプラム煮)」を作って誤りに来るのですが、彼は自分の大切にしていたTarを激しい口論の末、目の前で膝で竿を折って壊してしまった妻をどうしても許す事ができません。
妻は初めて彼とあって話し掛けられた子供の頃を思いだすのですが、彼にとっては妻は本当に好きだった女性にラブレターを渡してもらうだけの存在だった事がわかります。
妻は妻側からの視点で幸せだった頃を思いだしますが、彼にとっては本当に好きだった女性と別れさせられて、たまたま傍にいた妻と結婚しただけなので、「君の事は一度も愛した事はなかった…」と思わず口にしてしまいます。

四日目:彼の一番下の息子のその後のエピソード。外見は母親に似ているので、彼はあまり可愛がっていないのですが。。。

五日目:明け方、死が身近に迫って来ている事を感じます。亡くなった母親が枕元に表れ、母親が亡くなった日のエピソードを思いだします。母親の余命があまりないと知って、毎日祈りを捧げていたのですが、その祈りがあまりに過ぎた為に、亡くなった母親の身体から煙りが立ちのぼり、葬式に出席した僧侶から「あまりに強い祈りのために母が旅立てない」と諭されます。
はたして今、Nasser ALI KHAN(ナザール・アリ・カーン)の為に祈ってくれる家族はいるのでしょうか?

六日目:ついにAZRAEL(アズラエル)という死神が彼の元に表れ、「お前を知る為に表れたけれど、まだお前が死ぬ順番ではないからいずれ時がきたらまた来る」と言い残し去ってゆきます。

七日目:離婚した妹が尋ねて来る。イランでは女性から離婚する事はとても大変な事なのですが「お前には愛していない男と生きて欲しくない。お前には人生を失敗して欲しくないんだよ」とやさしく声をかけます。

八日目:最愛の女性と結婚できずに今の妻と結婚をするに至までを思い起こし、今までずっとその女性を思い続けて生きて来た事を思いだします。
そして冒頭の子供連れの女性とすれ違うシーンに戻ります。

果たして愛する人と結婚できなかった彼の思いは届かくのでしょうか?そして彼の人生は失敗だったのでしょうか?

すっかり長レヴューになってしまいましたが、イスラム教で離婚したり自殺したりという事自体タブーなので断食という方法に至ったのではないかと思うのですが、神様が一週間で世の中を創造した事を考えると、この「八日目」というのはなにか奇跡が起こるかもしれない日という意味合いもあるのかもしれません。
そういえばそんなタイトルのベルギー映画がありましたね。
今まで翻訳されてきた作品ではどちらかというと男性上位の社会を揶揄したりといった部分が目立つサトラピ作品ですが、この作品では叔父に対する温かい眼差しが感じられ、彼女はこの叔父の生き方を理解し憧れていたのではないか?とも思います。
また後半登場するアズラエルという死に神が面白く、死に神は死ぬときにならないと見えなくて、間違って見えてしまったとしてもその時までは命を取らずに自由にさせてくれるというエピソードは、シリアスな内容の中でちょっとほっとする楽しいエピソードです。これはBD(バンドデシネ=フレンチコミック)といっても新刊本のとうなサイズでモノクロ印刷で厚みもある小説のような本なので、絵本のように大きくて書店の棚に並べられないといった問題もないので、たぶん出版しやすいのではないかと思うので、どこかの出版社の方、ぜひ出版してください。
JUGEMテーマ:Bande Dessinee


2007.02.05 Monday ... comments(6) / trackbacks(0)
#『LE BORDEL DES MUSES』GRADIMIR SAMUDJA
サムジャ今回紹介するBDは『LE BORDEL DES MUSES』GRADIMIR SAMUDJA(「ミューズ達の娼館」第2巻 ミミ&アンリ グラディミール・サムジャ著)Delcourt (デルクール出版)です。

サムジャは1954年ユーゴスラヴィア生まれ。80年代初頭にスイスに移民として移住した作家です。そこで画廊商の為に印象派の模写などをしていてようですが、その後イタリアのLucaでデッサンの教授として働いていたようです。
その後、『Vincent et Van Gogh(ヴァンサンとヴァン・ゴッホ)』というゴッホへのオマージュ的な作品をデビュー作として発表し、その後に描かれたのがこの『LE BORDEL DES MUSES』シリーズです。
1巻はまだ未読なのですが、このシリーズはトゥールーズ・ロートレックを主人公としたフィクションになります。
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マロニエの花が咲き、人々が恋をする春先のモンマルトル。ジャポニズム・ブームがまだ全盛でロートレックも天狗のコスチュームを着てはお気に入りの娼婦達を誘ってしけこんでいます。

印象派がまだ当時の美術界では異端だった時代、友人のロダンやゴーギャン、ゴッホ、ルノアール達とばかげたパフォーマンスをしながらも、それぞれの表現を求めてモンマルトルから一人、また一人と旅だっていくのを見送る日々でした。
そんなある晩、帰宅途中に暴漢「黒蜘蛛」に襲われている美しい娘、ミミを助けます。赤ん坊の頃に誘拐され、その後は孤児院で育ったという謎めいた美女のミミに、放蕩息子とはいえ大金持ちのロートレックが一目惚れするのに時間はかかりませんでした。行くところがなければいつまでもアパートにいてかまわないと、洋服や宝石を買い与え、あくまでも紳士的に接するロートレックに、最初はとまどっていたミミも、やがて少しずつ心を開いてゆきます。そしてついにロートレックはアルビの生家へとミミをフィアンセとして両親へ紹介するために連れて帰るのですが、あまりの豪奢な生活と身分の違いにミミはだんだん鏡の中に現れる自分を批判するもう一人の自分に悩まされるようになってゆきます。彼の両親もミミの美しさは認めるものの、身分の違いから彼女との結婚を許してはくれません。

どうしてもミミと一緒に暮らしたいロートレックは、ミミを連れて馬車でパリまで戻ることにしますが、その帰りの夜道で「黒蜘蛛」の一味に襲われ「黒蜘蛛」と孤児院仲間だったミミは自分が一緒に行くかわりにロートレックの命を助けて欲しいと命乞いをし離ればなれになってしまいます。
ほどなく「黒蜘蛛」一味は捕まり、一緒にいたミミも絞首刑になるところをロートレックの父がなんとか助け、数ヶ月の牢獄暮らしで助かったものの、すでにロートレックの子供を身ごもっていたミミは何も告げずに刑期を終えた後、一人で子供を産みパリの独身用のアパートで暮らし始めます。

せっかく助けたミミの消息が再び途絶え意気消沈するロートレックを見かねた父が名探偵シャーロック・ホームズを雇い、居場所を突き止め、執事のジョセフが「アルビまでロートレックに会いに来て欲しい」と汽車のチケットを渡すのですが、「行くかどうかわからない」と会いたい気持ちともう一人の自分との間で逡巡するミミ。
果たしてミミの下した決断とその先に待っているものは。。。
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この作品の一番の魅力はその絵柄と独特のコマ割でしょう。
印象派そのものという画法で1ページが一枚の絵として成り立つような緻密な絵を描いているのですが、映画を撮るような感覚でその場面を表現しようとしているような大きなコマ割りもあれば、クレーンでカメラが移動しているようなコマの動きがあったり。またよく見ると、一こまの中にも遊びが隠されていて、フランス語が分からなくてもそういう細かい部分を眺めているだけでも楽しめる、そういう意味では絵本の感覚に近いような作品です。
日本に輸入されているかどうか分かりませんが、こういうタイプのBDだと部屋のインテリアとして飾っておくのにもいいですね。

このサムジャの作品に関して言えば、フレンチ・コミックの中でも異色の方で、コマ割りがあっても画面の中の人物の動きやページ単位での表現の仕方は映画の絵コンテに近い感じで、いわゆるBDよりも自由に創作している感じがします。それは恐らく年輩の作者がもともとBD作家志望だったわけではなく、自分の表現方法の一つとしてBDという形で作品を世に出したからという気がします。
JUGEMテーマ:Bande Dessinee


2007.01.24 Wednesday ... comments(0) / trackbacks(1)
#『Le chat du Rabbin TOM1.Bar-Mitsva(ラバンの猫 1巻:バール・ミツヴァ)』Joann Sfar
『Le chat du Rabbin TOM1.Bar-Mitsva(ラバンの猫 1巻:バール・ミツヴァ)』Joann Sfar

sfar_chat_tom1Le chat du Rabbin TOM1.Bar-Mitsva”Joann Sfar

日本では「プチバンピ」シリーズの作者として知られているジョアン・スファーの「ル・シャ・ドュ・ラバン(ラバンの猫1巻:バール・ミツヴァ)」を紹介します。タイトルのrabbinとはユダヤ人社会の霊的指導者の事で「ラビ」という名称の方が耳慣れていると思うのですが、宗派や国や地位によって変わるようなのであえてそのままです。仕事としては人々にユダヤ教を説く先生のようなものですね。(人名ではありません)

<もし自分のペットが言葉を話せたら。。。もっといろんな事を理解できて楽しいのに>そんな事を考えた事はありませんか?これはある日突然、言葉を話すようになってしまった猫の話です。

話はラバンの飼っている猫が、ある日いつもうるさいラバンが大事にしている鸚鵡を食べてしまったところ、突然しゃべれるようになってしまうところから始まります。口の周りを羽根だらけにしている所を見つかり「鸚鵡はどこだ!?」とラバンに尋ねられると「急用ができたから夕食は待ってなくていいよって言ってた」と猫は嘘をつきます。
ラバンにはZlabya(ズラビヤ)という猫曰く『蜂蜜のお菓子を想像させる名前』の一人娘がいるのですが、ラバンは娘に「ズラビヤ、おお娘よ、奇跡が起きたよ。猫が喋ったんだよ!」と喜び報告したものの「しかしとてつもない不幸も同時に起きたんだ。猫は嘘しか言わないんだよ」と嘆きます。
ほとんど外出もしないズラビヤはこの猫がお気に入りでいつも一緒にいて「もし猫が喋れたら奇想天外な話をしてくれるのだろうに…」と嘆いてたので、たとえ嘘をつこうが猫が喋れるようになった事を喜ぶのですが、ラバンとしてはとんでもない事で、以前のように猫とズラビヤを二人っきりにはしておいてくれません。

一計を案じたラバンは猫にユダヤの教義を色々と教え、なんとか正しいユダヤ人(ネコ?)になって欲しいと願うのですが、「ぼくはただの猫だし、自分がユダヤ教徒の猫かどうかも分からない」と反論してきます。「飼い主がユダヤ教徒なんだからお前もユダヤ教徒だよ」というラバンに猫は「ぼくは人間の年令なら49歳なのに、割礼も受けてなければ、Bar-mitsva(=バール・ミツヴァ=ユダヤ教男子の成人の洗礼の儀式の事で、13歳を過ぎたら受けられるそうです)も受けてないから、もし私がユダヤ教徒の猫ならBar-mitsvaを受けたい」といいだします。
困ったラバンは自分のラバン(つまり<ラバンのラバン>)のところへ猫を連れていき、Bar-Mitsva を受けられないか相談するのですが、口の立つ猫が<ラバンのラバン>をやり込めてしまい、自分まで「出ていけ〜!」と一緒に追い出されてしまう始末。不機嫌そうにだまってしまうラバンに「ぼくの事怒ってる?でもね、あなたがあなたの先生を好きなのは分かっているけれど、彼は何にも知らないし、残念ながらあなたよりも賢くないって事も分かっているでしょう。あなたはただ自分が年老いて孤独で何も分からない時に振り向いてもそばに誰もいないっていう事を認めたくないだけでしょう。。。」と猫は語りかけ「なぜお前はそんなに辛辣なんだい?」と問うラバンに「ぼくはただそれがどうみえるかという事実を言おうとしているだけにゃんだよ」と答えます。

こうして日々、ユダヤ教の様々な教義について、猫とラバンとの問答が続いてゆき、その中で猫の言葉をかりてスファーは自分のルーツでもあるユダヤ教の教えやしきたりなどの疑問や矛盾をBDという限られたページで読ませる大人の読み物として提示しているように思え、それはあたかも哲学問答のようでもあります。
しかし言葉を覚えたがために、今までは小さな生き物の本能として餌を狩るといった単純な夢しか見なかったのに、今では人並みに悪夢をみる日々。そしてある日、ラバンと猫はズラビヤが死んでしまうという同じ悪夢をみてしまい、ラバンはついに「もう話し掛けない」事を条件にズラビアのもとへ猫をかえし、再びただの飼い猫と飼い主という関係がもどります。ここで一旦話は終わった感じなのですが、ページがあまったから付け足しのようなラバンの弟子のエピソードがこの後に少し続きます。

一人と一匹の問答が哲学的でもあり、絵とあわせて読むとユーモアもありなかなか面白いのですが、フランス語の内容読解のレベルとしてはかなり難しく(fnacでは一応11歳以上となっていますが。。。)、宗教的な知識もあるとなおの事面白いのになぁと思いながら読みました。ユダヤ教というのは知らない人間にとってはかなり戒律が厳しく、そこがまた面白くもある部分で、スファーもそのあたりをユーモアを交えてもっと理解してもらいたいという気持ちがあるのかなぁと思います。

JUGEMテーマ:Bande Dessinee


2007.01.22 Monday ... comments(0) / trackbacks(0)
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